2012年8月17日金曜日

37歳

 森林太郎が、軍医部長として小倉に赴任したのは37歳のとき。現代の感覚では随分若く感じる。だがその年齢で、すでに軍医としては頂点に近い位置にまで到達していたのは、その才だけでなく不断の努力があったからであろう。

 木下杢太郎が鷗外没後彼を評して、「鷗外の一生涯は、休無き精進であった」と述べたとされる。軍務、医療、公衆衛生、文学、哲学、語学、芸術など広くその活躍の場を持ちえたのも、日々の蓄積無くしては不可能であったろう。

 さらには、才能や努力だけでなく、細やかな感性も有していたのだろう。でなければ、翻訳や芸術論などをなしえたはずは無いと思う。

 夏目漱石に比して、なんとなく近寄りがたい雰囲気を感じるが、その足跡をしばらくの間見つめてみたい。

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