2012年8月17日金曜日

ドイツ語

 わたしが医学部に入った頃は、外国語としてドイツ語が必須であった。医学の主流は英語圏に移っていたとはいえ、普段の医学用語としてもドイツ語が多く紛れ込んでいた。ある国の文化や技術などを学ぶには、その国の言語を学ぶ必要がある。
 明治初期に起こった普仏戦争。フランスが優位との戦前の予想を覆し、圧勝したのはプロシア。日本の陸軍は、その軍のあり方の範をドイツに求めることになる。当然ドイツ語の能力が高ければ重用されたと思われる。
 鷗外はそのドイツ語能力が極めて高かったと言われる。彼のしたためた独逸日記によれば、ドイツに到着したとき、周囲の会話が聞き取れたとの記載がある。東大にドイツ人の教授がいたとはいえ、ほとんど生のドイツ語に接する機会がなかったのではないかと思われる時代に、このことは驚異である。
 そして、鷗外が小倉に赴任しているあいだに行った、軍関係者としての大きな功績に、クラウゼヴィッツというプロシア軍事学者の戦争論翻訳がある。鷗外研究者の中には、ドイツ語に極めて堪能な鷗外にこの翻訳をさせるために左遷人事と取られるような、小倉第12師団軍医部長任命を行ったと指摘する人もいるようだ。

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