2012年8月19日日曜日

官僚

 小倉医療センターの源流をたどれば、小倉営所病院に至る。これは、1875年に歩兵第14連隊の医療機関として、小倉城内三の丸に開設されたものである。1888年に小倉衛戍病院と改称されている。

 日清戦争後、ロシアの南下政策に対抗する必用から、1898年に師団数が6から12に増やされている。そのひとつが小倉の第12師団。鷗外はその第12師団の軍医としての着任である。着任の数ヶ月前に、衛戍病院は小倉城内から北方に移され、城内の病院は分院とされたようである。

 鷗外はあくまで軍医であり、衛戍病院に赴任したわけではない。臨床医ではなく、エリート厚生官僚というイメージである。その主業務は軍にまつわることであり、出勤は小倉城内の軍司令部のようである。実際小倉日記に衛戍病院の名前が出るのは、司令部ちかくにあった衛戍病院分院が先である。

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