2012年8月21日火曜日

小倉衛戍病院跡



 小倉医療センターの正面入口近くに、小倉衛戍病院跡と書かれた
碑がある。小倉営所病院、小倉衛戍病院、小倉陸軍病院、
国立小倉病院、国立病院機構小倉病院と名称や機構が変わり、
現在の国立病院機構小倉医療センターの名前となった。


 鷗外が小倉に赴任してきた頃は、小倉衛戍病院。衛戍地というのは
軍隊が長期間駐留する場所を示しており、その地に軍人の負傷や病気を
対象として治療を行っていた病院が衛戍病院ということになる。

 当時どれほどの規模の病院として運営されていたのかまだ調べていないが、
鷗外は病棟間を馬で移動したとも思われるので、ある程度の広がりのある敷地であったのではないだろうか。現在の小倉医療センターは、以前に比べると随分
敷地が狭くなったようであるが、それでもかなりゆったりした空間を持っている。



0 件のコメント: