2012年8月23日木曜日

隠流

鴎外の小倉時代を
沈黙時代と定義されたことがある
中央文壇への文章発表などが少なかったことなどから
そのような評価がなされたのであろうが
第二次世界大戦後にそれまで行方しれずになっていた
小倉日記(鴎外の小倉居住期間の日記)が見つかり
その研究がなされ
けっして沈黙していたわけではないことがわかっている

もちろん中央から小倉への異動は
鷗外自身にとって心楽しまぬ点も多かったと思われ
赴任当初は「隠流(かくしながし)」の号を使ったりしていたらしい

しかしいかなる人のいかなる人生においても
無駄となる時間はないものであり
鴎外においても小倉時代は
多くの出会い 多くの思索を通じ
次の人生への大きな転機となった時期とされている
二番目の妻を迎えたのも小倉時代である

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