明治34年7月3日 午前六時小倉を発し、葛野村に至りて演習し、曽根に午餐す。苅田に至る比、北斗疲れて進まず。(小倉日記)
北斗というのは鴎外が使っていた馬の名前と思われる。小倉から曽根を超え苅田に向かう途中まで歩かせたとなると、鴎外の自宅と衛戍病院との距離の3倍以上は歩かせたことになる。このあと、汽車で行橋に向かったようだが、馬はどうしたのかと疑問になる。
鴎外の小説「鶏」の中に別当という言葉が出てくる。別当と言われると位がそこそこ高い人を指すように思っていたのだが、ここに出てくる別当は、厩務員をさすようだ。馬の世話をし、鴎外が馬を使うときにはそれを曳いていたのだろうか。それなら北斗が疲れて動かなくなったあとは、この別当が連れて帰ったことになるのだろう。
やはり鴎外は、お抱え運転手付きの高級官僚というところだ。
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