2012年10月12日金曜日

清書された小倉日記

 私たちが小倉日記として読むものは、鴎外自筆の日記をもとにしたものではないそうだ。実は小倉を去った後に、小倉での日記を清書しなおしてもらっているとのこと。清書しなおすということは、公開を前提としたものということであろうから、その過程で加筆や削除が行われたと考えるのが普通だろう。

 公開するとなると、清書の時点でいろいろな思惑が働くはず。日記を書くときにはそのまま書いたようなことでも、あとになって都合が悪いと考えれば、削除したような不都合な真実もあったはず。

 この清書された小倉日記は、一時期その所在がわからなくなっており、小倉での鴎外の暮らしをしる手がかりがほとんど無い状態だった。しかし、昭和26年になって親戚宅から見つかり、当時の行動を垣間見ることができるようになった。

 ところで、自筆の小倉日記は存在しないのでしょうか。あるならその内容を見てみたいものですね。

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