2012年11月11日日曜日

鴎外漁史

 漁史という言葉にどのような意味あいが含まれているのかわかりませんが、雅号の下につけて用いる言葉のようです。林太郎も鴎外漁史のペンネームで文章を発表したことがあるようです。

 小倉赴任後に、福岡日日新聞の求めに応じて森林太郎の名前で載せた一文の紹介に、森とは鴎外漁史のことだとの注釈がついていたそうです。再度寄稿依頼が来た折に書いたのが「鴎外漁史とは誰ぞ」という一文です。青空文庫で読むことができます  ⇒ http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/45270_19219.html
 
 このなかで、自分は中央文壇と称される世界とは別世界にいること、学問や軍務に精進していること、自身が書いた小説は短編4編ほどしかなくそれに費やした時間は1週間程度であること、鴎外漁史という作家はすでにいないといえるが林太郎はしっかりと元気にやっているということなど、自分の立ち位置を述べている。寄稿依頼の際には文壇評を求められていたのだが、文壇を離れているので書けない旨を述べている。しかし、最後には現在新たに文士として登場しているものは末流であるなどとしっかり批評を書いている。

 論の流れは面白いが、読んで心が清々するような一文ではありません。鴎外自身の気持ちも複雑だったのでしょうね。

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