2012年11月13日火曜日

謫せられ

 小倉時代というのは、鴎外の人生にとって幅や深みを持たせる上で、重要な日々であったろうという印象が強い。後になって眺めてみると、鴎外にとってもそうであったろうと思います。

 しかし、赴任から1年3ヶ月頃の書簡であろうと思われる母親への文面をみると、まだまだ小倉に追いやられたことに対する心の整理なんぞついてなさそうです。

 私の勝手な意訳が入りますが・・・
「小池局長は学問力量の上ではそれほど私より勝ってなどいないだろうと思われる。そんな局長の指示通りに赴任し、しろと言われることを行い、そのどれも馬鹿らしいとか無駄とか思わぬようにしている。・・・※罪によって遠方に流されているのを苦にせず負けずにやっているのは、名誉であると思えば思えないこともない。・・・」
なかなかウジウジしたためているのです。

 ここで※印のところは「謫せられ」という言葉を使っています。謫とは罪によって遠方にに流されることを意味するわけで、鴎外とすれば、故あって島流しにあったような心情だったことを端的に示していると思います。

 では罪とは何だと思っていたのでしょうか。私は医師だからどうしても脚気のことが気になります。日清戦争や台湾出兵の際は戦闘自体より脚気で命を落とした兵のほうがはるかに多かったとされています。その責任は林太郎一人のものではありませんが、何のお咎めもなかった石黒忠悳などの責任も含め詰め腹を切らされたというところではないか、というのが今のところの私の印象です。陸軍内部はもちろん、公に陸軍の白米食を批判していた海軍などに対して、責任を取らせたことを示したかったのではないでしょうか。

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