2012年11月2日金曜日

福間博

福間 博

 明治八年に島根県に生まれ、同二十四年に上京してドイツ語の勉強をしています。鴎外が小倉へ異動となったのを知り、福間も小倉にやって来て、鴎外の押しかけ弟子になったというところでしょうか。


 小倉日記によると、明治32年10月12日に突然鴎外宅を訪れて、「東京にいるときから先生のことは知っていたがお忙しいようなので先生の教えを受けたいなどといえなかった。今はこちらに異動となり少しはお時間があるでしょうからぜひドイツ語を教えて欲しい。こんな遠くまでやってきたのだから無碍に断ったりはしないでほしい。」とかなんとか言ったようです。教えを請うにしては、かなりの押しの強さですね。その様子に鴎外は「狂人ではあるまいか・・・」とまで思ったようですが、試しにその辺にあったドイツ語の本を読ませると、百に一つの誤りもないという実力であり、その後師匠と弟子の関係になったようです。

 鴎外の世話で、山口高校の教職を得たようですが、鴎外が東京に戻るにあたりその職を辞して上京し、鴎外宅近くに住んだとのことです。そして明治38年4月から明治45年2月に病死するまで、第一高等学校教授として教鞭をとり、芥川龍之介や菊池寛もその授業を受けています。やたらと文法にうるさいドイツ語教師だったようです。

 また再上京後、女性関係でごたごたもあったようですが、詳しくは調べていません。

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