2012年11月22日木曜日

豊洲鉄道

明治33年6月1日 「午前九時小倉を発して大分に向ふ。…始て豊洲線路に由る。(小倉日記)」

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 徴兵検査に赴くための大分への出張だったようだ。

 北部九州は産地から石炭を運び出すためということもあり、いくつもの鉄道が存在していた。小倉日記の中に鉄道名の記載がいくつかある。少し調べようとしても、会社同士の合併や廃線などがあり、その歴史をたどるだけでも大層なことである。

 この豊洲(ほうしゅう)鉄道も、鴎外が利用した翌年には九州鉄道に吸収合併された(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B7%9E%E9%89%84%E9%81%93)とのことである。

 それにしても、第12師団軍医部長というのは、広域に渡る職務があったわけで、一般の感覚からすれば雲の上存在。それを左遷と感じる人の心というのは、つくづく難しいものだ。誰しも、何かと比較して、喜んだり、がっかりしたりするもの。そこをスッと吹っ切れれば、どうということもないのであろうが。

 鴎外が、軍の職務に精励したのも、わだかまりを吹っ切り、己が心を平静に保つためだったのかもしれないとふと感ずる。

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