2012年11月25日日曜日

玉水俊虎

明治33年11月23日「…曹洞の僧玉水俊虎 将に小倉安国寺を再立せんとし…」

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 このあと、ずっと付き合いの続く玉水俊虎が訪れたのがこの日である。小倉で廃寺となっていた安国寺の再興を目指していた俊虎が、寄付を依頼する文章を鴎外に書いてくれるようお願いに来たわけである。

 やはり鴎外はかなりの有名人なのでしょうね。ふつう、厚生官僚のお偉方がやってきたからといって、一般人には知れ渡らないけれど、鴎外は特別なのでしょうね。

 これ以降、鴎外は俊虎にドイツ語を教え、俊虎は鴎外に唯識論の講義をするというふうに、お互いに高め合う関係となっている。鴎外の小説「独身」と「二人の友」の中でそれぞれ「安国寺さん」、「寧国寺さん」という名前で描かれている。純朴な人柄として描かれており、実際もそうであったらしい。

明治33年12月4日 「俊虎予が為に唯識論を講ずること、此日より始まる。」

 また明治34年の1月1日には、福岡日日新聞に「小倉安国寺の記」を、門司新報には「小倉安国寺古家冢町の記」を寄稿しているとのことである。これなども、当然俊虎との交友を得たが故に書いたものであろう。

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