2012年12月25日火曜日

森白仙

 鴎外の祖父、森白仙は津和野藩の典医であった。参勤交代に従い江戸まで来ていたが、体調を崩したようだ。典医の役目は、殿に付き従い、体調を守ることである。付き従えなければその役目を果たしたことにはならない。
 
 役目を果たせなければ、家禄が削られるという不名誉を受けることになる。そこで体調不良のまま、無理に帰途についた。しかし土山宿(東海道53次の49番目の宿)で病状が悪化し、亡くなっている。その後実際に森家の家禄が減らされたようである。

 この祖父の病気は脚気であったといわれ、脚気衝心で亡くなったたのであろう。日清戦争や日露戦争で、多くの兵士を脚気で死に到らしめてしまった帝国陸軍軍医部のお偉方に名を連ねた森鴎外の生涯を考えると、皮肉なことである。

 この白仙の墓を、鴎外は小倉赴任中の明治33年3月に一度だけ訪れている。東京出張への途次である。松本清張は、「両像・森鴎外」の中で、祖父が病気により役職を果たせなかった無念を、鴎外自身が感じている左遷への失意に重ね、訪ねてみる気になったのではないかと書いている。

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